発表のポイント
- 高機能自閉スペクトラム症(以下、ASD)当事者の多様な症状は、彼らの脳神経活動をより柔軟に変化するような神経刺激をすることで、一時的にせよ、改善されることがわかりました。
- この結果は、なぜASDは多様な症状を示すのかという問いへの一つの答えを与えるだけでなく、ASDの複数の症状を改善させうる新しい治療法を示唆するものです。
- 本研究の成果は、少なくとも人口の5%に認められるASDの神経病態の解明に貢献するだけではなく、新規の非侵襲的治療法の開発につながる可能性を秘めています。
概要
東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)の渡部喬光教授は、浜松医科大学精神神経科の山末英典教授との共同で、高機能自閉スペクトラム症の複数の症状が、脳神経活動のダイナミクスをより柔軟にするような独自の磁気刺激によって改善する可能性があることを明らかにしました。
本研究では、エネルギー地形解析(注1)と、脳活動駆動型神経刺激装置(注2)という二つの独自技術を用いることで、脳全体の神経活動の柔軟性の低下が、自閉スペクトラム症(以下、ASD)のさまざまな症状の原因の一つであることを初めて実証しました。さらに、人為的に脳神経活動の柔軟性を改善させると、ASDの多様な症状を低減するという可能性を提示することにも成功しました。これらの研究は、ASDの生物学的な病態理解に貢献するとともに、新たな非侵襲的治療法の開発につながることが期待されます。
発表内容
ASDは、特定のものごとや決まりへのこだわり(認知の硬直性)や特徴的なコミュニケーション傾向(社会疎通性)を中核の症状とした発達障がいです。その割合は人口の5%程度とも言われており、発達障がいの中でももっとも代表的なものの一つとして知られています。
ASDの多様な症状が生み出される神経メカニズムは、さまざまな手法、モデル動物などを用いて研究が長年進められてきました。近年では、オキシトシンの経鼻投与によってASDに特徴的なコミュニケーションの傾向を変化させることができるという大規模治験が報告されるようになっています。しかし、認知の硬直性やユニークな社会疎通性、さらには近年再注目されるようになった感覚症状といった、一見無関係に思える症状がなぜ一人のなかに共存するのか、それらを一度に改善する方法はないのか、という根本的な疑問にははっきりとした答えがありませんでした。
本研究では、独自の神経信号解析技術(エネルギー地形解析)と独自の神経刺激装置(脳活動駆動型神経刺激装置)を駆使することで、この二つの問いの解決に取り組みました。その結果、成人の高機能ASD当事者に見られる「認知の硬直性」、「特徴的な社会疎通性の傾向」「視覚の過度な安定性」という複数の症状はいずれも、大脳神経活動の硬直性を原因の一つとしており、実際に神経活動の柔軟性を促進するとそれらの症状が緩和されることを発見しました。
ASDと神経活動の硬直性
大脳神経活動の硬直性とASD症状との関連は、本研究を実施した渡部喬光教授らの先行研究によって報告されていました(Watanabe & Rees, 2017; Watanabe & Watanabe, 2021; 図1a)。機能的MRIで測定した安静時大脳神経活動をエネルギー地形解析によって分析することで、脳全体の活動パターンが次から次へと変化する頻度が高機能ASD当事者では定型発達者(以下、TD群)と比べて少なく、そのようなASD特有の大脳神経活動の過度な安定性がASDの臨床的な症状と相関しているということが判明していたのです(図1b)。
しかし、これらの研究で示唆されたのはあくまで相関関係であり、因果関係ではありませんでした。加えて、神経活動の硬直性と相関関係が観察されたのも臨床的面接を通して評価される重症度であり、よく制御された実験で計測された認知行動反応ではありませんでした。つまり、大脳神経活動ダイナミクスの硬直性がASD特有の多様な行動傾向のうちどれの原因であるのか、さらに大脳神経活動ダイナミクスを柔軟にしたらASD症状も変化するのか、といった重要な問いは未解決のままだったわけです。
ASD症状を計測するための三つの心理実験
この問題を解決するために本研究ではまず三つの心理行動実験を用意しました。一つのことへのこだわり(認知の硬直性)の程度を測るための「自発的課題切替テスト」と(図1c)、視覚意識の過度な安定性を測定するための「曖昧図形テスト」(図1d)、そして表情や声色といった非言語的社会情報の処理傾向を測定する「敵味方判別テスト」(図1e)です。いずれも、先行研究によりASD当事者では、TD群に比べて統計的に有意に異なる反応を示すことが示されています(Watanabe et al., 2019; Watanabe et al., 2014)。
本研究では、この三つの心理課題を50人の成人高機能ASD当事者と同数のTD群に実施してもらいました。並行して機能的MRIを用いて彼らの安静時脳活動を計測し、エネルギー地形解析を施すことで、ASD当事者とTD群の大脳神経ダイナミクスを算出しました。
その結果、高機能ASD当事者に認められる認知の硬直性も、視覚の過度の安定性も、非言語的社会情報の利用頻度の少なさも、全てASD当事者の大脳神経ダイナミクスの硬直性と相関していることが発見されました。
神経活動を柔軟にするとASD症状は変化するのか
では、神経活動の硬直性とこれら三つのASD症状に認められた相関は、因果関係も示唆しているのでしょうか。この問いに答えるため本研究では、脳活動駆動型神経刺激装置を用いてASD当事者の神経ダイナミクスを柔軟にし、上記の三つの認知行動指標がどのように変化するかを調べました。脳活動駆動型神経刺激装置を用いたのは、広く使われているヒト向けの非侵襲的神経刺激法では困難だった大脳神経ダイナミクスの硬直性・柔軟性のコントロールがこの装置を用いると可能であることが、先行研究で示されているためです(Watanabe, 2021)。
実際には、上記の実験に協力してもらった50人の成人高機能ASD当事者に、8ヶ月以上にわたる長期実験に参加してもらいました。神経刺激による副作用と思われる症状の報告は誰からもありませんでしたが、実験が長期間にわたったため、完了まで至ったのは40名のみとなりました。
しかし、この40人の高機能ASD当事者の神経活動データと行動実験の結果を精査してみると、コントロール条件と比べて神経刺激をした条件では、大脳神経活動のダイナミクスの硬直性は初回の実験から改善し、三つのASDに関連した行動指標も、タイムラグの差こそあれ、いずれも改善傾向を示していました(図2)。
特に認知の硬直性は、神経ダイナミクスの硬直性同様に初回刺激時から有意な変化を示しており、その変化幅も神経ダイナミクスの硬直性の変化量と相関していました。これは、本研究で注目した大脳神経ダイナミクスの硬直性が、ASDの認知の硬直性の主たる原因の一つとなっていることを示唆しています。
視覚症状と社会性の症状の改善までのタイムラグはなぜ生じたのか
一方、神経ダイナミクスの柔軟性が、ASD特有の視覚の過度な安定性と非言語的社会情報の利用頻度の少なさの改善に結びつくには、それぞれ7週間と9週間という時間が必要でした。これはなぜだったのでしょうか。
本研究では脳活動駆動型神経刺激装置を用いた複数の実験をさらに行うことで、「これら二つの症状が改善するには、神経ダイナミクスが柔軟になるだけでは不十分であり、さらに二つもしくは三つの大脳サブネットワーク間の協調性が向上する必要がある」ということを突き止めました。
視覚の過度な安定性が改善するには、神経ダイナミクスの硬直性が改善した結果として、ある脳活動状態を訪れる頻度が上がり、その脳活動状態内で同時に活動することが多い前頭葉頭頂葉ネットワーク(FPN)と視覚ネットワーク(VN)との協調性(機能的結合性)が上昇することが必要でした。
一方、非言語的社会情報の利用頻度の少なさが改善するには、同様な過程ののちに、FPNとデフォルトモードネットワーク(以下、DMN)とセイリエンスネットワーク(以下、SAN)との協調性が上昇することが必要でした。なお、DMNとSANに含まれる前頭皮質や内側前頭前野といった複数の脳領域は、非言語的社会情報を解釈する際に特に活動するということが判明しています(Watanabe et al., 2014)。
大脳神経ダイナミクスの硬直性とASD
これらの結果は、成人高機能ASD当事者に見られる大脳神経活動ダイナミクスの硬直性が彼らのASD症状の基盤の一つになっていることを示しています。さらに、ASD症状の多様性は、この神経ダイナミクスの硬直性が症状に直接結びついているのか、途中にいくつかのさらなる神経メカニズムを挟むのかによって、説明可能であることも判明しました。加えてこれらの結果は、今後その刺激頻度等を最適化することによって、今回の脳活動駆動型神経刺激装置を用いた非侵襲的神経刺激法がASDの症状緩和に使用できる可能性をも示唆しています。
発表者・研究者等情報
東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)
渡部 喬光 教授
浜松医科大学精神神経科
山末 英典 教授
論文情報
雑誌名:Nature Neuroscience
題 名:Non-invasive reduction of neural rigidity alters autistic behaviours in humans
著者名:Takamitsu Watanabe*, Hidenori Yamasue
DOI:10.1038/s41593-025-01961-y
URL: https://doi.org/10.1038/s41593-025-01961-y
研究助成
本研究は、科研費「基盤研究(B)(課題番号:19H03535)」、「学術変革領域研究(A)(課題番号:21H05679、23H04217)」、ムーンショット型研究開発事業(課題番号:JPMJMS2021)、創発的研究支援事業(課題番号:JPMJFR2321)、戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)(課題番号:JPJ012425)の支援により実施されました。
用語解説
(注1)エネルギー地形解析
空間的・時間的に多次元で複雑なデータから、その背後にある状態の遷移ダイナミクスを見出すことができる解析方法です。本研究の場合は、大脳全体から同時に記録された脳波時系列データにこの解析手法を適応することで、全脳にわたって広がる神経活動パターンの遷移を抽出することが可能となりました。ヒト脳神経活動への適用例の詳細は、Watanabe et al., Nature Communications, 2014; Watanabe & Rees, Nature Communications, 2017などをご覧ください。
(注2)脳活動駆動型神経刺激装置
脳神経活動のパターンをほぼリアルタイムで追跡し、ある特定のパターンを示した時にのみ、非侵襲的神経刺激を加える装置・方法です。本研究の中で開発されました。脳活動のパターンを追跡するための準備にはエネルギー地形解析が用いられ、非侵襲的神経刺激として経頭蓋磁気刺激(TMS)が使用されました。技術的詳細は、Watanabe, eLife, 2021をご覧ください。
問合せ先
(研究内容については発表者にお問合せください)
東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)
教授 渡部 喬光(わたなべ たかみつ)
<広報に関すること>
東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)広報担当