発表のポイント

  •   ショウジョウバエの幼虫は、一時的な空腹を経たのちに糖を摂食すると、痛覚応答が抑制される。
  •   糖の摂食による痛覚抑制を担うニューロン群「SDGs」をハエの脳内から発見し、それらがインスリン経路により活性化されて末梢痛覚を調節する仕組みを明らかにした。
  •   本研究は、個体の栄養状態に応じた末梢痛覚チューニングの作動原理を解明し、疼痛治療法の開発に向けた新たなコンセプトをもたらすと期待される。

 

糖の摂食により痛覚応答が抑制される脳内メカニズム

 


概要

  動物が危険に晒されながら食物を得る中で、生存や繁殖の可能性を高めるために、状況に応じて「逃避」と「摂食」の優先度を適切に切り替える必要があります。こうした行動選択において、個体の栄養状態に依存して痛覚応答を調節する脳神経系の働きが重要な役割を果たしますが、その仕組みはこれまで十分に理解されていません。

 今回、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の堂上(中溝)真未大学院生(研究当時)と石井健一助教、吉野次郎博士研究員(研究当時)、辻真人助教、榎本和生教授(ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)副機構長・主任研究者)らによるグループは、ショウジョウバエ幼虫の中枢から末梢へと情報を伝えることにより痛覚応答を抑制する新規ニューロン群を見出し、SDGsと命名しました。さらに、個体の栄養状態とSDGsの神経活動との生理的な関係を調べたところ、糖の摂食によりインスリン経路を介してSDGsが活性化され、鎮痛作用に至ることがわかりました。本研究は、個体の生理状態に応じて痛覚応答が柔軟に調節される脳内の仕組みを、分子・神経回路・行動のレベルで結びつけた初めての例です。

発表内容

 動物の痛覚応答は、栄養などの内的状態によりダイナミックに変化します。このことから、体内の生理状態をモニターし、末梢での痛覚応答を調節する神経機構が存在すると考えられます。しかし、哺乳動物においてはその神経回路の複雑さ故に、栄養状態に応じて痛覚応答を制御する神経系の実体を捉えることは困難でした。本研究では、哺乳動物と比べて単純な神経回路を持つショウジョウバエを用いて、中枢を介して末梢痛覚を調節するニューロン群を探索し、それを起点として栄養依存的な痛覚制御機構の解明を目指しました。

 痛覚応答は、種々の刺激を感知する侵害受容ニューロン(注1)により引き起こされます。そこで研究グループは、ハエ幼虫の脳内において、中枢から侵害受容ニューロンの近傍へと突起を伸ばす、特徴的な形態を示すニューロン群に着目しました(図1A)。続いて、それぞれの神経活動を遺伝学的に阻害した上で、幼虫の痛覚応答性(注2)を調べました(図1B)。その結果、過去に解析されたことのない6個の痛覚抑制ニューロン群を見出すことに成功し、SDGs(注3)と名付けました。脳組織を詳しく解析したところ、SDGsはGABA(注4)を放出し、侵害受容ニューロンのシナプス前終末(注5)へと抑制シグナルを伝えることにより、痛覚応答に「ブレーキ」をかけていました。

 

図1:新規痛覚抑制ニューロン群(SDGs)の形態および機能


 こうして発見された痛覚抑制ニューロン群SDGsは、どのような局面で働くのでしょうか?研究グループは、「糖を食べると痛みが和らぐ」という哺乳動物での現象をヒントに、栄養と痛覚との関係に目を向けました。まず、一時的な空腹状態においた幼虫に糖を食べさせると、痛覚応答性が弱まることから、ハエにおいても栄養状態に応じた痛覚調節が認められました(図2)。一方、SDGsの神経活動が抑制された幼虫では糖摂食による痛覚抑制が見られないことから、この現象にSDGsの働きが必要であると言えます(図2)。次に、糖代謝に関わるインスリン経路に着目し、SDGsにおけるインスリン受容体の働きを人為的に操作したところ、糖摂食後のSDGsの神経活動や幼虫の痛覚応答性が変化しました。これらの結果から、糖の摂食により分泌されるインスリン様ペプチド(注6)がSDGsに直接作用し、痛覚応答性の低下につながるというモデルが示唆されました(図2)。

 

図2:SDGsを介した、栄養状態依存的な痛覚応答の制御メカニズム


 本研究で見出されたSDGsは、多様な感覚情報を統合する脳領域に存在するため、栄養という内的状態に限らず、個体を取り巻く外的環境にも応答して痛覚調節を担う可能性が考えられます。また、ハエSDGsの機能はヒトの痛覚制御系の一部と類似することから、本研究は疼痛治療法や鎮痛薬の新規開発につながると期待されます。

発表者・研究者等情報

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻
堂上(中溝) 真未  研究当時:博士課程/東京大学 特別研究員
石井 健一  助教
吉野 次郎  研究当時:博士研究員
辻 真人  助教
榎本 和生  教授・ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN) 副機構長・主任研究者

論文情報

〈雑誌名〉Nature Communications
〈題名〉Descending GABAergic pathway links brain sugar-sensing to peripheral nociceptive gating in Drosophila
〈著者名〉Mami Nakamizo-Dojo, Kenichi Ishii, Jiro Yoshino, Masato Tsuji, and Kazuo Emoto*
〈DOI〉 10.1038/s41467-023-42202-9
〈URL〉 https://www.nature.com/articles/s41467-023-42202-9

研究助成

本研究は、科研費「スクラップ&ビルドによる脳機能の動的制御(課題番号16H06456)領域代表:榎本和生」、「神経回路の組織化と維持・管理を担う分子細胞基盤(課題番号16H02504)研究代表:榎本和生」、AMED-CREST「痛覚感受性の組織発達制御メカニズムの包括的理解と新規研究プラットフォーム創出を目指した研究(課題番号JP21gm1310010)研究代表:榎本和生」、文部科学省卓越研究員「動物個体間の階層関係を規定する社会的不快情動の神経基盤 研究代表:石井健一」、科研費「動物個体間の階層関係を規定する、攻撃制御遺伝子・神経基盤の解明(課題番号22K06309)研究代表:石井健一」、AMED-PRIME「痛みと孤独:末梢痛覚チューニングを通じた社会性形成を規定する神経基盤(課題番号JP22gm6510011)研究代表:石井健一」、特別研究員奨励費「逃避行動の時間枠を生み出す神経基盤の解明(課題番号20J22063)研究代表:堂上(中溝)真未」などの支援により実施されました。

用語解説

(注1)侵害受容ニューロン
動物に対して物理的な損傷を起こす可能性のある有害な刺激を感知し、痛覚応答を誘発するうえで最初に働く末梢感覚神経細胞。

(注2)痛覚応答性
ハエ幼虫が寄生蜂による針刺しや高熱などの侵害刺激を受けると、「コルク栓抜き」のように素早く転がり逃避する。本研究では、この回転運動を幼虫の痛覚応答と捉えて行動解析し、刺激を受けてから回転が始まるまでの時間を指標として痛覚応答性を評価した。

(注3)SDGs
本研究で同定した神経細胞群の名前。Subesophageal zone-localized Descending GABAergic neuronsの略。ハエの中枢にあるSubesophageal zoneと呼ばれる脳領域から、腹部神経節(哺乳動物の脊髄に相当する脳部位)へと下行する神経突起を持つという構造上の特徴と、GABAを神経伝達物質とする化学的な特性に基づく名称。

(注4)GABA
ガンマアミノ酪酸の略称。ショウジョウバエにおける代表的な抑制性神経伝達物質である。グルタミン酸からグルタミン酸脱炭酸酵素(ショウジョウバエではGad1)によって合成される。

(注5)シナプス前終末
ある神経細胞における軸索の先端が、他の神経細胞と接触してシナプスを形成する部位。

(注6)インスリン様ペプチド
100アミノ酸ほどの前駆体として合成されたのち、より低分子量の断片に切断されて働くペプチドホルモンの一種。ハエからヒトに至るまで高度に保存された立体構造を示し、細胞の成長や血糖値の制御など栄養状態に応じた代謝調節を担う。

問合せ先

(研究内容については発表者にお問合せください)

東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻
教授 榎本 和生(えもと かずお)

東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室

東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN) ・広報担当