【1細胞解像度を有する点描脳アトラスの創出 ~組織の膨潤および透明化を利用しマウス脳内の全細胞を解析~】
1.発表者:
上田泰己(東京大学大学院医学系研究科機能生物学専攻 教授 東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構主任研究者 兼任)
2.発表のポイント:
◆化合物ライブラリを検索し脳組織の膨潤と透明化を同時に可能とする試薬を発見しました。
◆1細胞解像度で情報を記述可能なマウスの全脳アトラスを創出しました。
◆全脳全細胞解析の応用により、1細胞レベルで脳機能を理解することが期待されます。
3. 発表概要:
この度、東京大学大学院医学系研究科機能生物学専攻薬理学講座システムズ薬理学分野の上田泰己教授(同大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)及び理化学研究所生命システム研究センター兼任)と村上達哉日本学術振興会特別研究員らの共同研究グループは、新しい全脳膨潤・透明化手法「CUBIC-X」を開発することで、マウス脳の全ての細胞を詳細に観察することを可能とするイメージング技術を確立し、全脳全細胞解析を行うことにより、1細胞解像度でマウスの全脳アトラス(地図)を創出しました(動画:http://sys-pharm.m.u-tokyo.ac.jp/cubic-atlas.html)。この全脳アトラスを用いることにより脳内に存在する全ての細胞を網羅的に分析することが可能となり、1細胞レベルでの脳機能の理解に繋がることが期待されます。
脳は、膨大な数・種類からなる細胞が複雑なネットワークを形成することで、その多様な機能を有することが可能としています。研究グループは、脳内の全ての細胞を解析する技術基盤を作り上げ、全細胞の位置情報を含む1細胞解像度脳アトラスを作ることで、脳機能を細胞レベルで理解することを目指しました。
研究グループは、約1,650個の化合物の中から組織膨潤と組織透明化を同時に可能とする試薬を同定し、実際に脳組織を膨潤させながら透明にする手法の作成に成功しました。さらに、シート照明型蛍光顕微鏡により得られた画像から全脳の全細胞を正確に抽出し、まるでジョルジュ・スーラの絵画のような点描で表示されたマウス脳の全細胞アトラスを創出しました。完成したマウス脳アトラスを用いて、マウス脳に含まれる脳細胞の数を正確に数えるとともに、臨界期の際に大脳皮質視覚野、体性感覚野の第2, 3, 4層で脳細胞数が減少することを発見しました。また、薬物を導入された際に活動する脳細胞を検出し、脳アトラスに脳細胞の活動情報を書き込むことで、脳細胞の活動パターンを1細胞解像度で解析することを可能にしました。更なる解析を進めることで、脳の一領域である海馬歯状回顆粒細胞層が機能的に異なる領域を複数有していることを発見しました。
この1細胞解像度マウス脳アトラスは、脳細胞数を数えることや脳細胞の活動情報を書き込むことにとどまらず、遺伝子発現情報や接続様式など様々な情報を書き込むことが出来ます。研究コミュニティに広く利用してもらうことで、脳機能を1細胞レベルで理解し解明することが期待されます。本研究成果は、英国の科学雑誌『Nature Neuroscience』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(3月5日付け:日本時間3月6日)に掲載されます。
4. 発表内容:
哺乳類の脳は多種類の細胞から成っており、各々が異なった生理的機能を有しています。そのような複雑な細胞集団が織りなす脳内細胞ネットワークを全脳レベルで漏れなく解析することは、神経科学の分野における大きな挑戦です。この目標を達成するためにヒト脳およびマウス脳を含めた様々な哺乳類脳アトラス(地図)が作成されてきました。このようなアトラスは、現在に至るまで全脳レベルでの様々な解析に応用されています。一方、全脳に渡って全細胞を解析するには、1細胞解像度を満たし、かつ、日常的な応用に使用可能なデータ容量である必要があります。本研究では、生命を構成する最小単位である細胞を用いて脳を表現することで、世界に先駆けて両者を同時に満たす1細胞解像度マウス脳アトラスの作成に挑みました。
1細胞解像度マウス脳アトラスを作成するには、脳内に存在する全ての脳細胞を正確に観察し検出する技術が必要となります。従来型の2次元連続切片を作成し観察するアプローチでは、多くの時間が必要とされる上に脳を切断することに由来するアーティファクトが生じる可能性があります。近年発展の目覚ましい組織透明化手法(注1)はこれらの問題を回避する最適の手法ですが、マウス脳のような大きい組織で全細胞検出を可能にする解像度で観察するには、現行の顕微鏡では解像度が不十分であり組織に対する非常に高い透明度も必要となります。よって新しい組織透明化手法およびイメージング手法が必要とされていました。組織膨潤手法(注2)は、組織自体を物理的に膨潤させることで高解像度を得るという斬新なアプローチで近年多くの手法が提唱されてきました。この手法の利点として、組織の透明度を高める点が挙げられます。研究グループは、従来から開発を行っていた組織透明化手法であるCUBIC(注3)に、組織膨潤手法を組み合わせることでマウス脳の全細胞解析を可能とする新しい技術基盤を作成し、1細胞解像度マウス脳アトラスを作成しました。
組織透明化と組織膨潤を行いうる手法の作成のため、研究グループは約1,650個に上る水溶性化合物ライブラリを用いて、組織透明化と組織膨潤を同時に満たしうる化合物を探索しました。その結果、イミダゾール(組織膨潤剤)およびアンチピリン(組織膨潤剤、屈折率調整剤)の二つの化合物が同定されました。これらの試薬と、同グループが全脳イメージングのために開発した従来型組織脱脂剤を組み合わせることで、全脳膨潤・透明化手法「CUBIC-X」を確立しました。CUBIC-Xにより、体積比で10倍ほどの膨潤を行う非常に高い透明度を示すマウス脳が作成されました(図1)。
さらに、膨潤、透明化された核染色後のマウス脳サンプルを自作の高速高解像度シート照明型蛍光顕微鏡(注4)で観察することで、全脳サブ細胞解像度イメージングを実現しました(図2)。この手法は、遺伝的に組み込んだ蛍光タンパク質を発現する様々なマウスの脳にも応用でき、特定の細胞種の形態を詳細に全脳レベルで観察できます。得られた核染色画像を基に全細胞核を正確に抽出し、それぞれの細胞が脳のどの領域に属するか注釈を与えることで1細胞解像度マウス脳アトラス(CUBIC-Atlas)を生成しました(図3)。
研究グループは、CUBIC-Atlasの応用の1例として、脳細胞数カウントを実施しました。1、3、8週齢および6カ月齢のマウスの脳に対して全細胞検出をした後にCUBIC-Atlasを参照することで各脳領域における細胞数の変化を観察しました(図4)。その結果、臨界期(注5)にあたる1週齢から3週齢にかけて、大脳領域視覚野,体性感覚野第2~4層において細胞数の有意な減少が観察されました。臨界期において同領域でシナプス数の減少が発生することは広く知られていますが、細胞数自体も減少していることが明らかになりました。
また、CUBIC-Atlasの別の応用例として、どの領域のどの細胞が活動したかの外観図を作成する活動マッピングを行いました。マウスに対して薬物(NMDA受容体アンタゴニスト、MK-801)投与群とコントロール群に分けて活動した細胞を検出した後にCUBIC-Atlasにマッピングを行いました。全細胞を活動情報に基づいて分類することで、活性化された細胞群および抑制化された細胞群の分布が1細胞レベルで観察できるようになりました。海馬の歯状回顆粒細胞層においてそれら2つの細胞群が別々の部位に局在しており、歯状回顆粒細胞層の機能的多様性を発見しました(図5)。
CUBIC-Atlasは、全脳全細胞プロファイリングを行う上での強力な解析プラットフォームです。CUBIC-Atlasを用いることで、脳が持つ多様な機能およびその背後に潜む動作原理を理解する「個体レベルのシステム生物学」の実現に近づき、神経科学の分野において大きな貢献をもたらすと期待できます。
なお、本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)「革新的技術による脳機能ネットワーク全容解明プロジェクト」、「革新的バイオ医薬品創出基盤技術開発事業」、「戦略的創造研究推進事業(AMED-CREST)」、及び日本学術振興会(JSPS)「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」、科学研究費補助金 「基盤研究S」、「新学術領域研究(研究領域提案型)」などの支援を得て行われました。
5.発表雑誌:
雑誌名:「Nature Neuroscience」
論文タイトル:“Three-dimensional Single-cell-resolution Whole-brain Atlas Using CUBIC-X Expansion Microscopy and Tissue Clearing”
著者:Tatsuya C. Murakami, Tomoyuki Mano, Shu Saikawa, Shuhei A. Horiguchi, Daichi Shigeta, Kousuke Baba, Hiroshi Sekiya, Yoshihiro Shimizu, Kenji F. Tanaka, Hiroshi Kiyonari, Masamitsu Iino, Hideki Mochizuki, Kazuki Tainaka and Hiroki R. Ueda.
6.問い合わせ先:
国立大学法人東京大学 大学院医学系研究科
機能生物学専攻 システムズ薬理学教室
(国立研究開発法人理化学研究所 生命システム研究センター 兼任)
教授 上田 泰己(うえだ ひろき)
TEL:03-5841-3415 FAX:03-5841-3418
E-mail:uedah-tky@umin.ac.jp
国立研究開発法人理化学研究所 生命システム研究センター
広報担当 川野 武弘(かわの たけひろ)
TEL:06-6155-0113 FAX:06-6155-0112
日本医療研究開発機構 〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 読売新聞ビル
戦略推進部 脳と心の研究課
TEL:03-6870-2222
E-mail:brain-pm@amed.go.jp
創薬戦略部 医薬品研究課
TEL:03-6870-2219
E-mail:kaku-bio27@amed.go.jp
基盤研究事業部 研究企画課
TEL:03-6870-2224
E-mail:kenkyuk-ask@amed.go.jp
(報道担当)
国立大学法人東京大学 大学院医学系研究科 総務係
TEL:03-5841-3304 FAX:03-5841-8585
国立大学法人東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構
TEL:03-5841-3014 FAX:03-5841-3015
国立研究開発法人理化学研究所 広報室 報道担当
TEL:048-467-9272 FAX:048-462-4715
7.用語解説:
(注1) 組織透明化法
組織を透明にすることで、組織の深部まで詳細に観察することを可能にする手法。100年以上も前から組織透明化の試みは行われており、現在に至るまで数多くの手法が提案されてる。組織中の脂質を除去したうえで屈折率を外液と一致させるという基本原理は共通している。
(注2) 組織膨潤法
2015年にマサチューセッツ工科大学のEd Boydenらが開発した組織を膨潤させることで超解像を達成する手法。膨潤性ポリマーに組織を包埋し、水を吸わせることで高い膨潤を引き起こし、組織の透明度も同時にあげることが出来る。
(注3) CUBIC(キュービック)
Clear, Unobstructed Brain Imaging Cocktails and Computational analysisの略。理化学研究所生命システム研究センターの上田泰己コア長らが開発した脳透明化試薬、3次元イメージングおよび画像解析手法の呼称。脳を脱脂した後で、屈折率を均質化することで高い組織透明度を達成した。複数の脳サンプルを並行して透明化することが可能であること、および手法が簡便で再現性が良いことが特徴。
2014年4月18日プレスリリース
「成体の脳を透明化し1細胞解像度で観察する新技術を開発」http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140418_1/
(注4) シート照明型蛍光顕微鏡
レーザー光をシート状に広げてサンプルの横から照射し、上から撮影することで、サンプル内のある平面を1回で撮影できる顕微鏡。シートまたはサンプルを、Z方向に動かして平面を重ねることで、高速に三次元画像を取得できる。
(注5) 臨界期
発達初期に見られる脳の可塑性が高まる限られた時期のこと。臨界期においては特定刺激の提示に対して高い感受性を示すことが知られている。これまでに、臨界期においてシナプスの刈り込みが発生しシナプス数が減少することが報告されていたが、全脳レベルで細胞数の減少を報告した例はこれまでになかった。
8.添付資料:
図1 CUBIC-Xによる膨潤透明脳の作製
1,650以上の化合物を探索し、同定された化合物を組み合わせることで、脳組織の膨潤および透明化を同時に達成する手法を開発した。体積比にて約10倍程度の膨潤が行われた上に、非常に高い透明度を達成している。
図2 マウス全脳の1細胞解像度での観察
蛍光タンパク質(YFP)が一部の神経細胞に発現しているマウス脳を用いてCUBIC-Xで膨潤・透明化した後に、高解像度シート照明型蛍光顕微鏡で全脳を観察した。100万枚超の画像データが取得されるが、それらを張り合わせて全脳イメージを再構成したもの(全脳視野)、一部を再構成したもの(拡大視野1)、神経細胞に着目して再構成したもの(拡大視野2)、シナプス構造に着目して再構成したもの(拡大視野3)を示してある。1回の撮影で、シナプスレベルの構造を観察できる解像度で全脳を観察することが可能である。
図3 1細胞解像度マウス脳アトラス(CUBIC-Atlas)
マウス全脳に含まれる全細胞を検出し、それぞれの細胞がどの脳領域に含まれるのかを示した。それぞれの色が脳領域を表している。図は細胞を表す点で構成されており、点描画様のアトラスとなっている。
図4 CUBIC-Atlasを用いた全細胞解析
各種発達段階におけるマウスの脳を膨潤および透明化し、全細胞の検出を行った。全細胞検出を全ての脳に対して行い、CUBIC-Atlasを参照することで各細胞の領域情報を得た。本解析プラットフォームを用いれば、発達の各段階における細胞数の変化が全ての脳領域で定量的に観察することが可能となる。
図5 CUBIC-Atlasを用いた細胞活動マッピング
活動した細胞を検出し、CUBIC-Atlasへと情報を付加することで全脳全細胞解析を行った。海馬歯状回顆粒細胞層において機能的に異なる領域を同定することが出来た。本解析は活動情報だけでなく、細胞種や細胞形態の情報、細胞間の接続様式等にも応用可能であり、全脳全細胞解析の新しいあり方を提唱している。
動画はこちらをご覧ください。