発表のポイント
- 小型霊長類マーモセットの大脳皮質において低次視覚野と高次視覚野で自発活動(脳自身が生み出す活動)と視覚応答の空間的パターンを比較したところ、低次視覚野では自発活動と視覚応答のパターンが似ているが、高次視覚野に向かってパターンが異なってくる(直交化する)ことを発見した。
- 大脳皮質の階層的ネットワークが、自発活動と視覚情報を分離する新しいメカニズムを解明した。
- ノイズ(自発活動)に強い生物の脳の優れた特徴を取り入れることにより、ノイズに強い人工知能を開発する手がかりになる。
東京大学大学院医学系研究科の大木研一教授(兼:東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)副機構長、兼:Beyond AI 研究推進機構 教授)、同志社大学大学院脳科学研究科の松井鉄平教授(研究当時:東京大学大学院医学系研究科講師)、東京大学大学院医学系研究科の橋本昂之助教、村上知成助教、関西医科大学医学部の上村允人助教(研究当時:東京大学大学院医学系研究科特任助教)らの研究グループは、大脳視覚野が視覚情報と自発活動を分離する新しいメカニズムを発見した。
ヒトをはじめとする生物の脳は外界からの感覚入力が無い場合(例えば何もしていない安静時)でも活発に脳自身が生み出す自発活動を示すことが知られている。自発活動は様々な動物で観察されており、生物の脳の重要な特徴だと考えられている。自発活動が外界からの感覚入力に対する活動と区別できない場合、誤った認識や幻覚につながる可能性もあるが、実際には生物の脳は感覚情報を正確に処理することが出来る。このメカニズムが何なのかは多くの点で未解明である。特に多数の領野が階層的なネットワークを作る哺乳類の大脳皮質視覚野において自発活動がどのように処理されているかは不明であった。そこで本研究では、マウスよりもヒトに近い視覚系を持ち、なおかつ先端技術による神経活動計測が可能な小型霊長類であるマーモセットを用いて、大脳皮質の多数の視覚関連領野で自発活動と視覚応答との関係を詳細に分析した。その結果、大脳皮質視覚野の階層的ネットワーク(注1)の中で、低次の階層では自発活動と視覚応答のパターンが似ているが、低次の階層から高次の階層にいくほど自発活動のパターンと視覚応答のパターンが徐々に分離していくことが発見された。階層にそって徐々に分離されることから、ネットワークの階層性が自発活動と視覚応答の分離に重要な役割を果たしていることが示唆される。本研究は大脳皮質の新しい情報処理メカニズムを提案するだけでなく、生物の脳が持つ利点を取り込んだ人工知能の開発に寄与する可能性が考えられる。
本研究成果は、2024年12月4日(英国時間)に英国科学誌「Nature Communications」のオンライン版に掲載されました。
<研究の背景>
生物の脳は外界からの感覚入力が無い場合(例えば何もしていない安静時)でも活発に脳自身が生み出す自発活動を示すことが知られている(図1)。感覚情報に自発活動がノイズとして加わることにより、感覚情報は乱されてしまうと考えられるが、それにも関わらず生物の脳は驚くほど正確に感覚情報を処理することが出来る。このメカニズムは分かっていない。このような脳の神経回路の特徴を理解することは、ノイズ(自発活動)に強い生物の脳の利点を解明する手がかりになると考えられる。これまでの研究から、サルなどの大脳皮質の視覚ネットワークの中で網膜からの情報を受け取る最初の領野である一次視覚野では、神経細胞集団の自発活動の空間パターンと視覚応答活動の空間パターンが良く似ていることが報告されていた。しかし、高次視覚野においても自発活動が外界からの感覚入力に対する活動と区別できない場合、誤った認識や幻覚につながる可能性もある。そこで本研究では、大脳皮質の複数の視覚野で神経活動計測が容易な小型霊長類であるマーモセットを用いて、自発活動と視覚応答の関係性が階層的ネットワークの中でどのように変わっていくか追跡した。
図1:マーモセット視覚野の神経細胞は暗闇で視覚入力がないときでも活発な自発活動を示す。
<研究内容>
本研究グループは、小型霊長類であるマーモセットの大脳皮質の視覚経路に沿って、低次領野の一次視覚野、中間領野の二次視覚野、高次領野のMT野において、2光子カルシウムイメージング(注 2)を使って、一度の実験につき数百個の神経細胞から、視覚刺激を動物に見せた際の視覚応答と、暗闇状態での自発活動を計測した。それぞれの活動パターンの類似性を調べた結果、低次領野の一次視覚野では視覚応答と自発活動が似たパターンを示し、視覚応答と自発活動の共通成分が多く観察された(図2)。一方、二次視覚野、MT野と、高次の領野に行くにしたがって視覚応答と自発活動の共通成分が徐々に減少し、幾何学的には直交したパターンが見られるようになった(図2)。高次領野では視覚応答と自発活動のパターンが直交していることにより、両者の干渉が抑えられ、自発活動の影響を受けない(ノイズに強い)情報処理が可能になっていると考えられる。マーモセットの視覚領野で見られた視覚応答と自発活動の直交化は、階層にそって徐々に起こることから、これまで知られていなかった大脳皮質の階層的神経回路による情報処理の新しい原理を解明したものであると考えられる。
図2:神経細胞の集団活動から自発活動の占める空間と視覚応答の占める空間を求め、それぞれの空間がどのような関係になっているのかを調べた。その結果、マーモセットでは視覚野の階層が上がると自発活動と視覚応答の空間が徐々に直交化していくことがわかった。同様の解析をマウス一次視覚野のデータに対して適用したところ、 マウス一次視覚野 では既に自発活動と視覚応答の空間が直交化しており、マーモセットの高次視覚野よりも直交化が進んでいることがわかった。マーモセットとマウスの結果を比較すると、視覚情報と自発活動の空間の直交化が起こる視覚処理段階が異なるものの、直交化という計算原理は共通していることが明らかになった。
<今後の展望>
本研究成果は脳の階層的神経回路による情報処理の基礎的な原理の理解だけでなく人工知能研究の分野に対しても重要な知見を示唆している。現在の人工知能は特定のノイズに対して脆弱であることが知られているが、上記の結果は、生物の脳が大きなノイズを許容しながら正確な情報処理を行う新しいメカニズムを解明したものである。このメカニズムを人工知能に取り入れることにより、ノイズに強い人工知能を開発する手がかりになる。
東京大学大学院医学系研究科機能生物学専攻
大木 研一 教授
兼:東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)副機構長
兼:Beyond AI 研究推進機構 教授
橋本 昂之 助教
村上 知成 助教
同志社大学大学院脳科学研究科
松井 鉄平 教授
研究当時:東京大学大学院医学系研究科機能生物学専攻 講師
雑誌名:「Nature Communications」(オンライン版:12月4日)
論文タイトル:Orthogonalization of spontaneous and stimulus-driven activity by hierarchical neocortical areal network in primates
著者:Teppei Matsui†,*, Takayuki Hashimoto†,*, Tomonari Murakami†, Masato Uemura†, Kohei Kikuta, Toshiki Kato, Kenichi Ohki* (*:責任著者、†:共同筆頭著者)
DOI:10.1038/s41467-024-54322-x
URL:https://doi.org/10.1038/s41467-024-54322-x
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)による「革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト(課題番号:14533320、JP16dm0207034、JP20dm0207048、JP21dm0207014、JP21dm0207111)」、「脳神経科学統合プログラム(課題番号:JP23wm0625001、JP24wm0625203)」、「戦略的国際脳科学研究推進プログラム(課題番号:JP20dm0307031)」、ソフトバンクによるBeyond AI 研究推進機構、科学技術振興機構(JST)による「戦略的創造研究推進事業(CREST):生体マルチセンシングシステムの究明と活用技術の創出(課題番号:JPMJCR22P1)」、「さきがけ(課題番号:JPMJPR19M9)」、「創発的研究支援事業(課題番号:JPMJFR224H)」、科研費「基盤研究 S(課題番号:25221001、19H05642)」、「学術変革領域研究(A)(課題番号:20H05917、24H02331、 23H04663)」、「基盤研究B(課題番号:23K27279)」、「若手研究(課題番号:21K15181、20J12796、23K14299)」、「研究活動スタート支援(課題番号:22K20678)」の支援を受けて実施されました。
(注1)大脳皮質視覚野の階層的ネットワーク
大脳皮質視覚野は霊長類で30、齧歯類でも10領野以上存在し、これらが階層的かつ並列的に結合することで視覚情報処理が行われている。大脳皮質の低次視覚野を出た後、頭頂葉へ向かう背側経路と側頭葉へ向かう腹側経路の2つに分かれ、それぞれ物の動き・形といった異なる視覚情報を並列に処理する。
(注2)カルシウムイメージング
大脳皮質の神経活動を多数の領野を含む広域で観察する実験手法。神経細胞が活動し、細胞内のカルシウム濃度が上昇すると、カルシウム感受性タンパク GCaMP6 の緑の蛍光が明るくなる。本研究ではこの蛍光の明るさの時間的な変化を計測し、神経細胞の集団活動を観察した。
(研究内容については発表者にお問合せください)
<研究に関すること>
東京大学大学院医学系研究科 機能生物学専攻 統合生理学分野
兼:東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)副機構長
兼:Beyond AI 研究推進機構 教授
教授 大木 研一(おおき けんいち)
<広報に関すること>
東京大学医学部・医学系研究科 総務チーム
東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)広報担当
東京大学産学協創部
Beyond AI 研究推進機構 広報担当宛でご連絡ください。
同志社大学 広報部 広報課
※メールの件名の冒頭に【大脳神経回路ノイズ】と記載ください。