1. 発表者:
大木 研一(東京大学大学院医学系研究科統合生理学分野 教授 /東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN) 主任研究者)
吉田 盛史(東京大学大学院医学系研究科統合生理学分野 助教)
2. 発表のポイント:
◆マウスが様々な画像を見ている時の数百個の脳細胞の活動を網羅的に記録し、その活動から見ていた画像を再現する手法を開発しました。
◆この手法を用いた解析により、ある一つの画像の情報は、記録した数百個の細胞のうち、わずか20個程度の細胞の活動から抽出できること、また不安定な脳細胞の活動から安定して情報が抽出できることなどを明らかにしました。
◆本研究の成果は、脳での安定した視覚情報処理のメカニズムへの理解を深めるとともに、将来的に優れた人工知能アルゴリズムの開発への応用が期待されます。
3.発表概要:
目に入ってきた外の世界の情報は脳へと伝達され、脳細胞の電気的な活動へと変換されます。その脳細胞の活動が、我々の意識に上って来ることにより、私たちは外の世界を見ることが出来ていると考えられています。しかしながら、同じ画像を見ても、脳細胞の活動の様子は毎回異なり、安定していないことが知られています。このような不安定な脳細胞の活動を使って、どのようにして脳は視覚情報を処理しているのでしょうか。人を含む動物の脳がどのように外界からの視覚情報を処理しているのかを明らかにすることは、脳科学の分野において重要な問題の一つです。また、人工知能の分野における脳を模倣したニューラルネットワークの成功に見られるように、脳の視覚情報処理の解明は、優れた人工知能アルゴリズム開発への応用が期待されます。
東京大学大学院医学系研究科統合生理学分野/東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構の大木 研一教授、吉田 盛史助教の研究チームは、様々な画像に対するマウス一次視覚野の神経細胞の活動を網羅的に記録し、その活動からマウスが見ていた画像を再現する手法を開発しました。この手法を用いた解析により、一つ一つの画像の情報はごく少数の神経細胞活動から抽出できることを明らかにしました。また、同じ画像を見ても、脳細胞の活動の様子は毎回異なり、安定していないのですが、その不安定さにも関わらず画像の情報は安定して表現されていることを明らかにしました。
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)「革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト」、文部科学省科学研究費助成事業などの支援を受けて行われました。本研究の成果はNature Communications誌(2月13日付けオンライン版)に掲載されます。
4.発表内容:
[研究背景]
私たちの生活の大部分は、目から入る視覚情報に大きく依存しています。人を含む動物の脳がどのように視覚情報を処理しているのかを明らかにすることは、脳科学の分野で重要な問題の一つです。また、人工知能の分野において、脳機能を模倣したニューラルネットワークの成功に見られるように、脳の視覚情報処理の解明は、優れた人工知能アルゴリズムの開発への応用が期待されます。
脳はどのようにして外界からの視覚情報を処理しているのでしょうか。風景や物体の写真のような画像が提示された時に、脳内にある多くの神経細胞のうち活動するのはごく少数の神経細胞だと考えられています。このことから、ある瞬間の画像情報は少数の神経細胞によって処理されていると考えられています。このような情報処理の様式はスパースコーディング(注1)と呼ばれています。スパースコーディングは理論的な観点から、画像の効率的な情報表現であると提唱されています。では、少数の脳細胞の活動にどのような画像情報が含まれているのでしょうか。
脳活動にどのような画像情報が含まれているかを調べるためには、脳活動から実際に見ている画像を再現する方法があります。ヒトでの機能的核磁気共鳴画像法(fMRI、注2)を用いた研究で、脳活動を反映する血流信号からヒトが見ていた画像が再現できることが報告されています。しかし、血流信号ではなく、脳細胞の活動にどの程度の画像情報が含まれているのかは明らかにされていませんでした。また、個々の脳細胞の活動は、同じ画像を見ても毎回異なり、不安定であることが知られています。しかし、私たちの見ている世界は安定しているように知覚されますので、脳内では安定した情報処理が行われていると考えられます。それでは、脳はどのようにして少数かつ不安定な神経活動を用いて安定した情報を表現しているのでしょうか。
[研究手法と結果]
本研究では、マウスに数百から数千枚の画像を見せながら、二光子カルシウムイメージング(注3)という手法で、マウスの一次視覚野(注4)の1 mm以下の範囲にある数百個の脳細胞の活動を網羅的に記録し、その活動にどのような情報が含まれているのかを調べました。従来の報告と同様に、個々の画像に対して数パーセント程度の神経細胞が活動していました。
続いて、この少数の細胞の活動にどのような画像情報が含まれているのかを調べるために、神経活動からマウスが見ていた画像を再現する解析手法を開発しました(図1)。この解析手法はヒトのfMRIを用いた研究などで用いられてきました。今回この手法を応用し、二光子イメージングのデータからの画像の再現に初めて成功しました。
この手法を用いて解析を行ったところ、一つ一つの画像はごく少数(約20個)の細胞の活動から再現できました(図2)。このことから、少数の脳細胞の活動に複雑な画像の情報が含まれていることがわかりました。また、同じ画像を繰り返し提示すると、応答する細胞やその活動の大きさは毎回変動していました。この神経活動の不安定さにも関わらず、この活動から比較的安定して同じような画像を再現できました(図3)。このことから、一見不安定に見える脳細胞の活動にも、安定した画像の情報が含まれていることがわかりました。
それでは何故少数の脳細胞の不安定な活動に、複雑な画像の情報が安定に含まれているのでしょうか。まず、少ない細胞で複雑な画像情報を表現するために、個々の細胞が持つ情報が大きく異なっていることがわかりました。次に、各細胞が持つ情報はお互いに少しずつ補い合っていて、ある細胞が活動しなくても別の細胞たちが活動することにより情報が補完され、安定した情報表現が可能になっていることを明らかにしました。
これらの結果は、長年提唱されてきた少数の細胞の活動に情報が表現されているというスパースコーディングを実証するものです。また、不安定な神経活動の中に安定した情報を表現するという、新規の情報処理様式を提唱する結果です。
[研究結果から期待されること]
本研究は、私たちがどのようにして安定して世界を見ているのかを明らかにし、脳の視覚情報処理への理解を深めることに寄与します。また、今回明らかにした脳の情報処理様式は、将来的に優れた人工知能アルゴリズムの開発につながることが期待されます。
5.発表雑誌:
雑誌名:「Nature Communications」2020年2月13日
論文タイトル:Natural images are reliably represented by sparse and variable populations of neurons in visual cortex
著者名:Takashi Yoshida and Kenichi Ohki
6.問い合わせ先:
【研究に関すること】
国立大学法人東京大学大学院医学系研究科統合生理学分野
教授 大木 研一(おおき けんいち)
【報道に関すること】
国立大学法人東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構 広報担当
E-mail: pr@ircn.jp
7.用語解説:
注1 スパースコーディング
脳内には数多くの細胞があるが、ある瞬間に活動している細胞はごく一部で、これらの少数の細胞が情報処理を行っているという、情報処理の様式。
注2 機能的核磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging, fMRI)
血流の変化を利用して間接的に脳活動を計測する手法。個々の脳細胞の神経活動は計測できないが、脳全体の活動を頭蓋骨の外から計測できる。
注3 二光子カルシウムイメージング
生きた動物の脳内の神経細胞の活動を、二光子顕微鏡という特殊な顕微鏡を用いて観察する技術。この手法により数百ミクロン四方の範囲から数百から数千個程度の1個1個の細胞の活動を観察できる。
注4 一次視覚野
目からの入力の情報を最初に処理する大脳皮質領域
8.添付資料:
図1.脳細胞の活動からマウスが見ていた画像の再現
マウスに自然画像を見せて、その時の脳細胞活動を測定する。測定された脳細胞活動から数理モデルを用いてマウスが見ていた画像を再現する。
図2.少数の細胞から再現された画像の例
同時に記録された726個の細胞の内、約20個の強く応答した細胞を使用すると、すべての細胞を使った時とほぼ同様の画像が再現できる。このことから、画像の情報は少数の強く応答する細胞の活動に含まれていると考えられる。3つの再現画像図は左からそれぞれ、強く活動した細胞(左)、活動した細胞(中央)、すべての細胞(右)から再現された画像。
図3.画像の繰り返し提示に対する脳細胞の応答および再現画像
同じ画像を繰り返し提示すると、毎回少しずつ異なる細胞群が活動する(上段)が、その活動からは毎回同じような画像が再現できる。