【本研究のポイント】

  •   新型コロナウイルスの進化に伴うウイルス排出パターン注1)の変化をAI技術で分析
  •   ヒトの行動とウイルスの進化は複雑に関連している可能性を示唆
  •   潜伏期間や無症候期間などの症状の変化はウイルスを進化させる選択圧注2)と関連
  • 【研究概要】

     国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学大学院理学研究科のパク ヒョンギ 特任助教、岩見 真吾 教授らの研究グループは、北海道大学大学院先端生命科学研究院の山口 諒 助教との共同研究でAI技術を活用することで、新型コロナウイルスの進化が潜伏期間や無症候率などの臨床的な症状やヒトの行動と複雑に関連していた可能性を明らかにしました。武漢株、アルファ株、デルタ株、オミクロン株に感染した合計274人の臨床データを順番に解析していくと、変異株の出現に伴い、生体内におけるウイルス排出量のピークは増加し、早まる傾向(急性感染型注3))に進化する様子が見られました。さらに、AI技術を組み込んだシミュレータを開発し、詳細に分析した結果、この進化の傾向は、変異株の出現に応じてヒトが感染症から身を守るための行動(自宅待機、3密回避、感染者隔離など)を克服するウイルスの生存戦略として成立したものである可能性が示唆されました。また、変異株の出現とともに短くなった潜伏期間や高くなった無症候率も、変異株を進化させる選択圧と密接に関連していることが判明しました。
     これまでの研究では、抗菌剤や抗ウイルス薬が病原体進化を駆動してきたことが知られていましたが、本研究からは、ヒトの行動自体もウイルスの進化を理解する上で重要な原因であることが明らかになりました。新たな変異株の出現が懸念される中、本研究の成果およびAI技術を組み込んだシミュレータは、将来のウイルス進化を予測し、ポストコロナ時代の感染症対策を確立する上で重要な一歩となることが期待されます。
    本研究成果は、2023年11月21日19時(日本時間)付国際学術雑誌「Nature Communications」に掲載されました。

    【研究背景と内容】

     人間の活動が環境におよぼす影響は、生態系はもちろんのこと、巡り巡って私たちの生活・健康においても極めて重要で普遍的なものです。この影響は選択圧となり、多くの生物が適応的に進化する原因となります。パンデミック以降、新型コロナウイルス感染症に関連する制限が生じ、それに伴って人間の活動が著しく変化しました。その間も異なる特性を持つ新型コロナウイルスの変異株が次々に生まれ、私たちはウイルス進化をリアルタイムに観察することになりました。
     ヒトは新型コロナウイルスにとっての宿主であり、宿主の環境に適応した感染力の高い株が新たな感染拡大の原因となり、既存の流行株を置き換える変異株として現れ続けています。たとえば、世界中を席巻した武漢株、アルファ株、デルタ株、オミクロン株に感染した臨床データを順番に解析していくと、変異株の出現に伴い、生体内におけるウイルス排出量のピークが増加し、早まる傾向を発見しました(図参照)。
     一般的に、薬剤による抗ウイルス効果やワクチンによる免疫応答は、ウイルスの進化の要因になります。しかし、医薬品を使わない非薬理学的介入注4)(nonpharmaceutical intervention : NPI)(自宅待機、3密回避、感染者隔離など)が進化におよぼす影響は知られていませんでした。NPIを用いた公衆衛生政策に基づく人口の規模、免疫、および行動の変化は、ウイルスの進化と関連しているかもしれません。つまり、新型コロナウイルスは私たちが感染症から身を守るために実施していた行動を克服するように進化していたのかもしれません。NPIがウイルス進化に影響を与えることが示唆できれば、将来的には、ウイルスの進化を踏まえた、あるいは、先回りした公衆衛生対策が可能になるかもしれません。
     

     
     本研究では、ヒトの行動が新型コロナウイルスの進化に与えうる影響を、最新の数理科学技術を駆使することで分析しました。具体的には、感染者の生体内で日々変化するウイルス量に応じた感染確率を考慮して、ヒト集団内でのウイルス伝播能力を評価できるシミュレータを開発しました。さらに、人工知能技術の一つである進化計算注5)の手法を組み合わせることで、現実世界で確認されたウイルス排出量のパターンがどのような状況で再現できるかを評価しました。コンピューター内でウイルスを進化させる実験を繰り返した結果、感染者が感染後、早い段階で隔離されるような強力なNPIが存在する場合、ウイルス排出量のピークは増加し、早まる可能性があることが分かりました。特に、このような急性感染型へのウイルスの進化は、潜伏期間や無症候率などに大きく左右されることも見出しました(図参照)。
     つまり、臨床的な症状とヒトの行動が複雑に絡み合った結果、新型コロナウイルスが進化していた可能性を示唆しました。ポストコロナ時代、将来的には、このウイルスの生存戦略を利用し、公衆衛生の観点からウイルス排出の抑制を促すなど、ウイルス感染の超早期段階(潜伏期間等)の特徴を考慮した感染症対策が可能となるかもしれません。この研究で提案された手法は、新型コロナウイルス感染症に限らず、あらゆる感染症の原因となる病原体が人間の活動と相互に影響し合う過程で、将来的にどのように進化するのかを探るために幅広く活用できます。

    【成果の意義】

     パンデミックの最中は、強力な感染症対策により新型コロナウイルスの感染拡大を抑制し、感染者数を最小限に抑えることが重要でした。これによって医療システムが過負荷になるリスクを減少させ、患者への適切な医療を確保することができました。一方、ポストコロナ時代には、病原体である新型コロナウイルスの疫学的および臨床的特徴を理解することが重要になります。新規の抗ウイルス薬やワクチンなどの適応的な治療、効果的なスクリーニング、および隔離戦略のための検査体制の確立が加速されるからです。
     武漢で発見された、新型コロナウイルスの流行株は、アルファ株、デルタ株、ガンマ株、オミクロン株と次々に出現しては置き換わってきました。今回、実際に公開された臨床データを基に、武漢株からデルタ株への進化を、数理モデル駆動型データ分析を通じて分析しました。その結果、ピークウイルス量(コピー/ミリリットル)が5倍増加し、ピーク到達時間(日数)が1.5倍早まっていたことが示されました。開発したシミュレータは、これらの現実世界のウイルス進化の傾向を再現できていました。今回示された、ウイルス排出量のパターンと、公衆衛生対策の効果との密接な関係を踏まえると、新型コロナウイルスがこれまでどのように進化し、今後どのように進化するのかを分析・予測していくことも極めて重要な意味を持ちます。本研究で得られた成果は、NPIというヒトの行動が進化の選択圧になりうるという強力な証拠の一つであり、進化的および生態学的な視点からウイルスの進化を再評価することが不可欠であることを示唆しています。

     本研究は、2021年度から始まったJSTムーンショット型研究開発事業(目標2)および2022年度開始のJST ACT-X「AI活用で挑む学問の革新と創成」の支援のもとで行われたものです。

    【用語説明】

    注1)ウイルス排出パターン:
    上気道や唾液など臨床検体から計測されるウイルス量がどのように振る舞うかを指す。ウイルスのピーク量、ピーク時期、排出期間の長さなどが、パターンの形成に総合的に影響する。

    注2)選択圧:
    進化を引き起こす原動力のこと。ここでは自然淘汰の強さと同義。

    注3)急性感染型:
    宿主に感染してから、増殖スピードが早く、すぐに症状が現れるタイプのウイルス。対義語は持続感染型。

    注4)非薬理学的介入:
    薬を使用せずにウイルス感染症拡大を防ぐための方法。感染者隔離や個人防護具の着用、3密の回避、など。

    注5)進化計算:
    生物の進化ダイナミクスに着想を得た、最適化計算手法の一つで人工知能技術でもある。遺伝的アルゴリズムとも呼ばれる。

    【論文情報】

    雑誌名:  Nature Communications

    論文タイトル: Isolation may select for earlier and higher peak viral load but shorter duration in SARS-CoV-2 evolution

    著者:
    砂川 純也  北海道大学大学院生命科学院生命科学専攻 博士後期課程
    Kwang Su Kim  Department of Scientific computing, Pukyong National University Assistant Professor
    Hyeongki Park  名古屋大学大学院理学研究科理学専攻 特任助教
    小森園 亮  京都大学医生物学研究所 特任助教
    Sooyoun Choi  Department of Mathematics, Pusan National University Ph.D.student
    Lucia Ramirez Torres  名古屋大学理学部生命理学科 学部生
    Joohyeon Woo  名古屋大学大学院理学研究科理学専攻 修士課程
    Yong Dam Jeong  名古屋大学大学院理学研究科理学専攻 特任助教
    William S Hart  Mathematical Institute, University of Oxford Post-doctoral fellow
    Robin N Thompson  Mathematical Institute, University of Oxford Associate Professor
    合原 一幸  東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)副機構長、東京大学特別教授
    岩見 真吾   名古屋大学大学院理学研究科 教授
    兼:京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)連携研究者、九州大学マス・フォア・インダストリ研究所 客員教授
    理化学研究所数理創造プログラム 客員研究員、東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)連携研究者
    山口 諒   北海道大学大学院先端生命科学研究院 助教
    兼:Department of Zoology & Biodiversity Research Centre, University of British Columbia(日本学術振興会 海外特別研究員)

    DOI:  10.1038/s41467-023-43043-2

    【研究者連絡先】

    東海国立大学機構 名古屋大学大学院理学研究科
    兼: 京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi) 連携研究者
       九州大学マス・フォア・インダストリ研究所 客員教授
    理化学研究所数理創造プログラム 客員研究員
    東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN) 連携研究者
    教授 岩見 真吾(いわみ しんご)

    【報道連絡先】

    東海国立大学機構 名古屋大学広報課

    北海道大学社会共創部広報課

    九州大学 広報課

    京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点 リサーチ・アクセラレーション・ユニット

    東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN) 
    広報担当

    理化学研究所 広報室 報道担当

    科学技術振興機構 広報課

    【JST事業に関すること】

    科学技術振興機構 ムーンショット型研究開発事業部
    犬飼 孔(いぬかい こう)