1. 発表者:
渡部 喬光(東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)准教授)
2. 発表のポイント:
◆少なくとも3つの前頭葉領域が視覚意識の揺らぎを制御していることを同定しました。その制御の仕方は、刻一刻と変化する脳全体の神経活動パターンによって決定されていました。
◆前頭葉の活動は視覚意識の揺らぎの結果なのか原因なのかは20年来の謎でした。本研究はそれが原因であることを示し、さらに、なぜ従来の手法では解明困難だったのかも明らかにしました。
◆本研究で新規開発した脳活動状態駆動型神経刺激法は、幅広い認知機能の柔軟性を制御できる可能性があり、自閉スペクトラム症やADHD/ADDなどの治療法につながることが期待されます。
3.発表概要:
意識の揺らぎや柔軟性には前頭葉や頭頂葉が関与しているらしいと考えられています。しかし頭頂葉と違って、前頭葉の神経活動を人為的に抑制しても意識の揺らぎには変化がないという報告が多く、近年は「前頭葉の神経活動は意識の揺らぎの結果であってその原因ではない」という解釈まで発表されていました。
本研究で東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構の渡部喬光准教授はこの解釈が必ずしも正しくないことを突き止めました。エネルギー地形解析(注1)と脳活動状態駆動型神経刺激法(注2・図1)を用いた本実験を通して、「少なくとも3つの右前頭葉領域は、意識の揺らぎに対して因果的影響を持っており、それらの領域の神経活動次第で、視覚意識が安定化したり、不安定化したりする。ただし、意識が安定化するのか否かは、刻一刻と変化する脳全体の活動パターンによって決定されるため、従来の実験手法では検出しづらかった」ということを明らかにしたのです(図3)。
これらの結果と方法論は、自閉スペクトラム症やADHD/ADD、統合失調症など、認知の過度の安定化や柔軟化が背景にあると考えられる精神神経疾患の治療に応用できる可能性があります。
4.発表内容:
東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構の渡部喬光准教授は、エネルギー地形解析と脳活動状態駆動型神経刺激法(図1)とを用いて、少なくとも3つの前頭葉領域が、ヒト視覚意識の揺らぎを制御していることを明らかにしました。
背景
心理学者ウィリアム・ジェイムズの言葉にもあるように、ダイナミズムや揺らぎ、柔軟性はヒトの意識の重要な特性の一つと考えられています。認知神経科学においても、ネッカーキューブや曖昧図形(図2)を用いることで、自然に発生する意識の揺らぎがどのような神経機構によって生み出されるのかが調べられてきました。
実際、20年以上前の研究で既に、視覚意識の揺らぎが生じているときには、右前頭葉と右頭頂葉が特に活動している、ということが明らかになっています。そして約10年前には、右頭頂葉の活動を人為的な刺激よって抑制すると、その刺激する脳部位によって、視覚意識の揺らぎが安定化したり、逆に不安定化したりするという報告が複数なされました。
しかし、前頭葉についてはこのような研究報告が出ていません。このため近年は、「実は前頭葉の領域に認められていた神経活動は、意識の揺らぎの結果であって、その原因ではないのではないか。」という解釈まで発表されていました。
ただ、意識的な運動の柔軟性などについては前頭葉がそれらをコントロールしているという研究結果が広く得られており、こういった「前頭葉の活動は自然発生的な意識の揺らぎに対して因果論的役割を持っていない」という解釈は必ずしも完全に受け入れられていたわけではありませんでした。
手法・結果
本研究は、エネルギー地形解析と脳活動状態駆動型神経刺激法を用いることでこの問題を解きほぐすことに成功しました(図3)。
まず、少なくとも3つの右前頭葉領域は、意識の揺らぎに対して確かに因果的影響を持っており、それらの領域の神経活動を抑制すると、視覚意識が安定化したり、不安定化したりすることを実験的に明らかにしました。
ただし、意識が安定化するのか、不安定化するのかは、刺激のタイミングに依存していました。たとえば右下前頭葉の活動を人為的に抑制する場合でも、脳全体の活動パターンが状態Aにあるときに抑制刺激を加えれば、意識は不安定化しますが、その状態Aから別な状態Bに移行した直後に刺激を加えれば、意識は安定化しました。
すなわち、意識の安定性・柔軟性に対する前頭葉の影響や因果論的役割は、脳全体の活動パターンによって刻一刻と変化していたのです。そのため、この前頭葉の役割を実験的に抽出するには、エネルギー地形解析を用いて脳活動状態の遷移ダイナミクスをモニターし、特定の脳活動状態になったときを見計らって、あまり長時間残存しない弱い神経刺激を与えるという手法が必要だったわけです。
逆に言えば、脳活動状態駆動型神経刺激法を用いない従来の一般的な脳神経刺激法、つまり、脳活動パターンをモニターせずに比較的強い刺激を加える方法では、神経刺激の行動への影響が平均化されてしまい、いくら前頭葉を刺激しても行動変化は観察しづらい、という結果になっていたと推測されます。
さらにこの手法は、その神経刺激の弱さにもかかわらず、定期的に繰り返すことで、意識の安定化や不安定化を徐々に定着させることもできるということも明らかにしました。
社会的意義・今後の発展
このように本研究は、長年議論が続いてきた前頭葉と意識の揺らぎとの関係に一つの答えを示すことに成功しました。さらに、今後のさまざまな認知神経科学の研究において特定の脳領域の神経活動と行動との変化とを調べる際には、脳全体の活動パターンをもモニターし、考慮する必要があるのではないか、という示唆を提示するものとなりました。加えて、自閉スペクトラム症当事者を対象とした先行研究において、本研究と同じ刺激によって計測された視覚意識の安定性が、彼らの認知の硬直性と相関していた結果が出ていることを踏まえると、この研究で開発された脳活動状態駆動型神経刺激法は自閉スペクトラム症の中核症状の一つを多少なりとも緩和できるのでは、という期待を抱くことができます。
今後は、視覚意識以外の幅広い認知・意識の揺らぎに関しても、同様の検証を行うと同時に、自閉スペクトラム症、ADHD/ADD、統合失調症など、認知や意識の過度の安定化や柔軟化が背景にあると考えられる精神神経疾患への適用を探索していきたいと考えています。
5.発表雑誌:
雑誌名:「eLife」 2021;10:e69079
論文タイトル:Causal roles of prefrontal cortex during spontaneous perceptual switching are determined by brain state dynamics
著者:Takamitsu Watanabe*
DOI番号:10.7554/eLife.69079
アブストラクトURL:https://elifesciences.org/articles/69079
6.問い合わせ先:
<研究に関すること>
東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)
准教授 渡部 喬光(わたなべ たかみつ)
<広報に関すること>
東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)
広報担当
7.用語解説:
(注1)エネルギー地形解析
ほぼモデルや仮説なしに、空間的・時間的に多次元で複雑なデータから、その背後にある状態の遷移ダイナミクスを見出すことができる解析方法です。本研究の場合は、多数の脳部位から同時に記録された脳波時系列データに適応することで、全脳にわたって広がる神経活動パターンの遷移を抽出することが可能となりました。ヒト脳神経活動への適用例の詳細は、Watanabe et al., Nature Communications, 2014; Watanabe & Rees, Nature Communications, 2017などをご覧ください。
(注2)脳活動状態駆動型神経刺激法
脳神経活動のパターンをほぼリアルタイムで追跡し、ある特定のパターンを示した時にのみ、非侵襲的神経刺激を加える装置・方法です。本研究の中で開発されました。脳活動のパターンを追跡するための準備にはエネルギー地形解析が用いられ、非侵襲的神経刺激として経頭蓋磁気刺激(TMS)が使用されました。
8.添付資料: