1. 発表者:
竹内 昌治(東京大学 大学院情報理工学系研究科 知能機械情報学専攻/生産技術研究所 教授/国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)主任研究者)
山田 哲也(神奈川県立産業技術総合研究所 研究員(研究当時)/現東京工業大学 未来産業技術研究所 助教)
2. 発表のポイント:
◆人工の細胞膜上に蚊の嗅覚受容体(注1)を組み込んだ匂いセンサによって、呼気に混合した0.5 ppbという微量のガンマーカーを嗅ぎ分けることに成功しました。
◆水溶液に対し、せん断方向に匂い分子を含む気体を流すことで、水に難溶性である匂い分子を気中から水溶液中に効率良く分配できることを明らかにしました。
◆感度や分子識別能力で従来技術をしのぐ匂いセンサを実現し、呼気診断や環境計測、危険物検知などへの応用を目指します。
3.発表概要:
東京大学大学院情報理工学系研究科、生産技術研究所の竹内昌治教授、神奈川県立産業技術総合研究所の山田哲也研究員(研究当時)らを中心とした研究グループは、蚊の触角に存在する嗅覚受容体を利用し、呼気中に含まれる代謝物を検出できる匂いセンサを開発しました。
研究グループはこれまで、昆虫嗅覚受容体を人工細胞膜(注2)上に組み込んだ匂いセンサが、水溶液に溶解した匂い分子に対して高い感度と分子識別能力をもつことを示してきました。しかし、匂い分子の多くは水に難溶性であるため、気中に漂う匂いに対して嗅覚受容体本来の優れた能力を引き出すことができませんでした。そこで本研究では、効率的に匂い分子を水溶液に分配することのできる微細なスリットを搭載した匂いセンサを作製しました (図1)。このスリットを水溶液の真下に配備し、匂い分子を含むガスを導入することで水溶液が撹拌され、水に難溶性の匂い分子を効率良く水溶液中に届けることが可能になりました(図2)。これにより、呼気に混合した0.5 ppbの微量のガンマーカー(1-octen-3-ol:オクテノール)を匂いセンサによって検出することに成功しました(図3)。
今後、複数の嗅覚受容体を人工細胞膜に再構成させたセンサを作ることで、複雑な組成を持つ匂いの識別が可能になると考えられます。感度や分子識別能力で従来技術を凌ぐ匂いセンサが実現できれば、呼気・体臭診断や、環境評価、爆発物検知などへの幅広い応用が期待できます。
なお、本研究は、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)次世代人工知能・ロボット中核技術開発事業、および文部科学省地域イノベーション・エコシステム形成プログラムなどの支援を受けて行われました。
4.発表内容:
生物が持つ嗅覚受容体は匂いやフェロモンを1分子レベルで識別し一種の情報として検出します。嗅覚受容体の機能を利用したバイオハイブリッドセンサ(注3)は、汎用されている酸化物半導体型のセンサと比べ高い感度と優れた分子選択性が期待されており、その応用範囲は呼気や体臭による病気の診断、麻薬および爆発物の探査や食品の品質管理、環境評価など幅広い分野が想定されています。東京大学情報理工学系研究科 竹内教授らは、これまでの研究から単離精製した蚊の嗅覚受容体を脂質2重膜(人工細胞膜)に再構成させることで、その優れた機能を発現できることを見出してきました。この嗅覚受容体を利用した匂いセンサの実用化における重要課題のひとつが、水溶液中の嗅覚受容体に難溶性の匂い分子をどのようにして届けるかということでした。これまでの研究では、有機溶媒に匂い分子を一度溶解させた後、人工細胞膜や嗅覚受容体が存在する水溶液に滴下して計測する場合が多く、揮発した匂い分子を感度良く計測することは困難でした。
この課題に対し、当研究グループでは難溶性の匂い分子を嗅覚受容体に送り届けるため、撥水コートを施した微細なスリットの上に人工細胞膜を形成する液滴を配置し、このスリットに匂い分子を含む気体を流すことで、効率的に匂い分子を液滴中に導入する機構を考案しました(図1)。この微細なスリットにガスを導入すると、気液界面で生じるせん断力により、人工細胞膜を形成する液滴の内部が撹拌され、効率的に匂い分子が取り込まれることを明らかにしました。肝臓ガンに関連するバイオマーカーとして考えられているオクテノール(1-octen-3-ol)を含むガスを導入したところ、液滴内のオクテノール濃度が10分以内に定常状態に達し、ガスの流れがない場合に比べ、約4倍の濃度を溶解できたことが確認されました(図2A)。さらに、無細胞タンパク質合成系(注4)により蚊の嗅覚受容体を合成し、並列化した人工細胞膜にその受容体を再構成させることで、16個の並列化した人工細胞膜で同時に匂いを計測することができるセンサデバイスを作製しました。これにより、1 ppmのオクテノールを10分以内に90%以上の確度で検出できるようになりました(図2B-C)。
人の呼気には約3000種類もの代謝物が含まれているとされ、その複雑な組成から一種類の代謝物を検出するためには極めて高い選択性が必要になります。そこで着目したのが昆虫の嗅覚受容体の機能です。昆虫の嗅覚受容体は、特定の匂い分子と結合するとイオンを透過させるための孔を開きます。本研究で開発したセンサでは、この微小なイオンの流れ(イオン電流)を計測することで、嗅覚受容体1分子レベルの挙動を捉えます。その結果、匂い分子を正確に識別し、1分子レベルで検出する感度を発揮することができます。本研究では、バイオハイブリッド匂いセンサの識別能力を実証するため、呼気中に混合した微量オクテノールの検出に挑戦しました。人の呼気にオクテノールを混合していない場合には明確な信号が得られなかったのに対して、呼気にオクテノールをそれぞれ0.5 ppb、5 ppbで混合した場合には、嗅覚受容体由来の明確な信号が得られました(図3)。すなわち、呼気という極めて複雑な組成に含まれたppbレベルのオクテノールを嗅ぎ分けられることがわかりました。
本研究成果として、人工細胞膜に蚊の嗅覚受容体を組み込んだバイオハイブリッド匂いセンサに対して、匂い分子を効率的に取り込む機構を搭載することで、呼気に含まれるppbレベルの微量のオクテノールを嗅ぎ分けることに成功しました。
今回の蚊の嗅覚受容体は無細胞タンパク質合成系により合成しました。同様の合成方法を用いて遺伝子を変更することで、異なる嗅覚受容体を得ることができます。例えば、蚊は約100種類の嗅覚受容体をもち、人は約400種類の嗅覚受容体をもつとされています。将来的に、複数種類の嗅覚受容体を並列化した人工細胞膜に再構成させて、多数の匂い分子を判別できる匂いセンサの開発を進めて行きます。これにより複雑な匂いの識別や認識が可能になると考えられます。感度や分子識別能力で従来技術を凌ぐ匂いセンサが実現できれば、高度な呼気・体臭診断や、環境評価、爆発物検知などに貢献できるものと考えられます。
5.発表雑誌:
雑誌名:Science Advances
論文タイトル:Highly sensitive VOC detectors using insect olfactory receptors reconstituted into lipid bilayers
著者:Tetsuya Yamada, Hirotaka Sugiura, Hisatoshi Mimura, Koki Kamiya, Toshihisa Osaki, Shoji Takeuchi*
DOI番号:10.1126/sciadv.abd2013
6.問い合わせ先:
<研究に関すること>
東京大学 大学院情報理工学系研究科 知能機械情報学専攻/生産技術研究所 教授
国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)主任研究者
竹内 昌治(たけうち しょうじ)
<報道に関すること>
東京大学 大学院情報理工学系研究科
広報室 森松
(地独)神奈川県立産業技術総合研究所
研究開発部 小林・雨森
7.用語解説:
(注1)嗅覚受容体
嗅覚受容体は嗅神経細胞に存在する膜タンパク質で、7回膜貫通型受容体。匂い物質はこの嗅覚受容体により受容される。蚊の嗅覚受容体では対応する匂いと結合することで活性化し、イオンチャンネルが開きイオン電流が流れる。
(注2)人工細胞膜
細胞膜を模擬して人工的に作製した脂質2重膜。本研究では東京大学竹内昌治研究室で開発した液滴接触法を用いて人工細胞膜を作製し、蚊の嗅覚受容体を膜上に再構成させることで匂いに応答するセンサ素子を作製した。
(注3)バイオハイブリッドセンサ
生物の持つ高感度で選択性の高いセンシング能力は、未だ人工物を用いたデバイスでは達成できていない。そこで、生体の細胞や組織などを直接機械に組み込み利用するアプローチが研究されている。このような生体と機械を融合したセンサをバイオハイブリッドセンサと呼ばれ、次世代の超高感度センサとして注目されている。
(注4)無細胞タンパク質合成系
大腸菌やコムギ胚芽細胞などの各種細胞内に存在する酵素などを利用してタンパク質を合成する方法。対象とするタンパク質の配列をコードするDNAもしくはmRNAを細胞抽出液や翻訳因子から再構成したシステムに添加することで、目的のタンパク質を合成できる。細胞を使ったタンパク質合成よりも簡便でハイスループットであるとされている。
8.添付資料: