うつ病の有病率は年々増え続け、米国の患者数だけでも数千万人に上る。患者のなかには深刻な自殺願望を訴えるケースもあり、即効性のある特効薬のような抗うつ剤の開発が期待される中、ケタミン*の臨床研究が進んでいる。一般の抗うつ薬が治療効果を発揮するのに1~2か月の長期投与が必要なところ、ケタミンの場合は数時間でうつ症状の改善がみられる。また、治療抵抗性のある患者へのケタミンの有効性も認められている。一方、ケタミンには中毒性があるため、1回または短期間の複数回のみの処方になる。それでも、その効果が持続的であることについては、作用機序がわかっていなかった。
4月12日にサイエンス誌に掲載された研究では、慢性ストレスを負荷してうつ様行動を示すようになったマウスにケタミンを1回投与すると、そのうつ様行動が改善され、かつケタミンが新しい脳神経細胞の結合(シナプス)の形成を促進することがわかった。シナプスの新生は、ケタミンの持続的な作用を説明すると考えられる。
本研究では感情をつかさどる脳部位、内側前頭前皮質(mPFC)、に着目した。うつ症状が認められるヒトまたは動物モデルで、この部位に何らかの変化が生じることは知られていたからである。研究者らはうつ様行動の発現に、mPFCニューロンの樹状突起スパインの消失、およびそれに起因した脳神経回路の崩壊が関係すると示した。ケタミンは、数時間以内にこの損なわれた脳細胞回路を修正する効果を現してうつ様行動の緩和を促す一方、新しいスパインの成長には最低でも12時間を要することから、スパイン生成がケタミンの即効性に直接関係するわけではないことも明らかにした。結果、このスパインシナプスの修復こそ、ケタミンの抗うつ作用延長に重要であることがわかった。
本研究は、ワイルコーネル医科大学精神科のConor Liston准教授と東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(IRCN)の主任研究者河西春郎教授および連携研究者尾藤晴彦教授との共同研究で行われた。河西教授と尾藤教授が開発した光遺伝学的手法を用い、ケタミンの誘導する新しいスパインを除去し、うつ様行動が再発することを証明した。今後は、ケタミンの抗うつ効果を持続させるために、樹状突起スパインの消滅を抑制する方法を追究していく。薬を使った方法、または経頭蓋磁気刺激法など投薬以外の方法を用い、新しいスパインの結合を促進させる。それが、うつ病に悩む多くの人々の命を救うことになればと願う。
*ケタミンはNMDA型グルタミン酸受容体の選択的遮断薬であり、1960年代に麻酔剤として開発され、今でも動物用麻酔薬として使用されている。当初から娯楽目的で乱用されており、日本では麻薬の規制を受ける対象薬物である。米国では今年3月にケタミンの抗うつ剤としての使用が認可されている。
資料:ワイルコーネル医科大学 ニュースルーム
https://news.weill.cornell.edu/news/2019/04/study-shows-how-ketamine-reverses-depression%E2%80%94and-how-its-benefits-could-be-extended
要約:IRCN サイエンスライテイングコア
発表雑誌:
雑誌名:Science(2019年4月12日公開)
論文タイトル: Sustained rescue of prefrontal circuit dysfunction by antidepressant-induced spine formation
著者:Moda-Sava RN, Murdock MH, Parekh PK, Fetcho RN, Huang BS, Huynh TN, Witztum J, Shaver DC, Rosenthal DL, Alway EJ, Lopez K, Meng Y, Nellissen L, Grosenick L, Milner TA, Deisseroth K, Bito H, Kasai H, Liston C*.(*:責任著者)
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