日々の睡眠の量と質を一定に保つ仕組みを調べるため、脳の神経細胞同士の結びつき(シナプス)を増強する分子ツールと、シナプスと脳の活動の関係を予測する数理モデルを開発しました。その結果、前頭葉でシナプスの結びつきが強くなると眠りが始まり、眠るとその結びつきが弱まることが分かりました。
私たちは睡眠不足になると、いつもより長く、そして深い睡眠を取って、全体的な量と質を一定に制御(恒常性を維持)しています。しかし、体がどのように、睡眠時間をモニタリングし、そのような制御をしているのかはよく分かっていませんでした。
これを解明するため、本研究では、神経細胞同士のつながり(シナプス)に着目し、その結合の強さを増強する新たな分子ツール (SYNCit-K) と、シナプス強度と脳の活動の関係性を予測する数理モデル (EINモデル) を開発しました。SYNCit-Kをマウスの前頭葉に適用すると、睡眠が誘導されること、また、シナプス結合の増強を阻害すると、深い睡眠は誘導されないことが分かりました。さらに、増強されたシナプス強度が、その後の睡眠によって元に戻ることが明らかになりました。この結果は、シナプス強度と脳の活動の関係性を予測する数理モデル (EINモデル) の結果と一致しました。このように、前頭葉でシナプス結合が大きくなると睡眠が誘導されるメカニズムが明らかになりました。
シナプス結合の強度が睡眠の恒常性に関与するメカニズムの解明により、睡眠の質を向上させる新たな治療法開発への貢献が期待されます。さらに、SYNCit-KやEINモデルの適用範囲を広げることで、より詳細な脳機能解明や、睡眠の計算論の理解につながると考えられます。
研究代表者
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)
史 蕭逸 助教
東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)
河西 春郎 特任教授
理化学研究所脳神経科学研究センター
豊泉 太郎 チームリーダー
研究の背景
ヒトを含む多くの生物は、睡眠不足が続くと睡眠の必要性が高まり、長く、そして深い睡眠が誘導され、全体として睡眠の量と質を一定に保っています。このような睡眠の恒常性注1)がどのように制御されているのかは睡眠研究における重要な問題の一つです。
本研究グループなどの先行研究により、睡眠不足のマウスおよび睡眠が深くなる遺伝子変異を持つマウスでは、神経細胞のつなぎ目であるシナプスのタンパク質の状態が変化していることが分かっています。シナプスでは神経伝達物質のやりとりによって神経細胞同士が情報を伝達し、その伝達効率(シナプス強度)は学習などにより増強されます(シナプス可塑性注2))。シナプスにおいて、主要な情報伝達物質であるグルタミン酸はその受け手の細胞を活性化させます。その受け手の部分には樹状突起スパイン注3)という微小な突起があり、その大きさはシナプス強度に比例し、大脳皮質注4)のシナプス強度やスパインの大きさが睡眠の必要性と相関することがすでに知られています。しかし、睡眠の結果としてシナプス強度が変化するのか、それとも、シナプス強度の変化が睡眠の必要性に応じて睡眠を制御しているのかは不明でした。
研究内容と成果
本研究グループは、シナプス増強・スパイン増大を誘導するための新規分子ツール「SYNCit-K」を開発しました。SYNCit-Kは化学的誘導によるタンパク質の二量体化注5)を応用し、酵素Karilin7をスパインに集積させることで、シナプス増強・スパイン増大を引き起こします。単離培養細胞、海馬スライス培養標本、マウス生体脳において、その作用を確認しました。
シナプス結合の強度の影響を調べるため、SYNCit-Kをマウス個体に導入し、前頭葉の興奮性神経細胞のシナプスを増強させたところ、睡眠の量が増え、睡眠の深さを示す脳波であるデルタパワー注6)が増強することを見いだしました(図)。また、増強されたシナプス強度が、その後の睡眠によって元に戻ることが分かりました。さらに、シナプス増強に必須な酵素CaMKIIを阻害すると、断眠によるデルタパワーの上昇が消失しました。
同時に、大脳皮質の神経細胞集団の活動を記述する数理モデル (EINモデル) を作成し、シナプス強度の変化が神経細胞集団の活動のリズムに与える影響を検討しました。その結果、シナプス結合を強めると神経細胞が睡眠様の発火パターンを示し、脳波のデルタパワーが上昇することが明らかになりました。これらの予測は、培養神経細胞やマウスの実験結果とも一致しました。
今後の展開
今回の研究成果は、シナプス強度が睡眠の恒常性調節において重要な役割を果たしていることを明確に示しており、シナプス強度を標的として睡眠の質を制御することで、睡眠障害や不眠症などの治療薬開発の新たなアプローチとなる可能性があります。さらに、治療薬にとどまらず、ブレインマシーンインターフェースといった、睡眠の質を向上させるための新しい技術開発や、個々人の睡眠パターンに基づいたパーソナライズド医療の進展にもつながると考えられます。さらに、本研究で開発したSYNCit-Kのような分子ツールやEINモデルなどの数理モデルの応用を拡張することで、より詳細な脳機能解明や、睡眠の計算論の理解につながることも期待されます。
参考図
SYNCit-Kを前頭葉の興奮性神経細胞に発現させてシナプス強度を増強すると、睡眠が誘導され、睡眠中のデルタパワーも強くなることが分かった。※図はBioRender.comで作成。
用語解説
注1) 睡眠の恒常性
私たちの体が一定の睡眠時間を保つために働くしくみ。例えば、寝不足になると、次に眠るときに深い眠りをたくさん取ろうとするのも、恒常性の一部である。
注2) シナプス可塑性
神経細胞同士のつながり(シナプス)の強度が、経験や学習によって変化する能力のこと。これにより、学習や記憶が形成されると考えられている。
注3) 樹状突起スパイン
神経細胞に存在する小さな突起のこと。シナプスは樹状突起スパインの上に形成されており、脳の情報伝達に重要な役割を果たしている。
注4) 大脳皮質
脳の表面にある薄い層で、思考や記憶、感情などを司る重要な領域。この領域が発達しているために、ヒトは複雑な問題を考えたり、感情を感じたりすることができる。
注5) 化学的誘導による二量体化
特定の化学物質を使って、2つのタンパク質を結びつける技術のこと。これにより、細胞の中で特定の反応を引き起こしたり、タンパク質の働きをコントロールしたりすることができる。今回開発した技術では、二量体化を応用し、シナプスにタンパク質を移動させて、シナプス強度を操作している。
注6) デルタパワー
ノンレム睡眠中の脳波で見られる1~4Hzのゆっくりした波(デルタ波)の強度。この値が高いほど、脳がしっかりと休んでいること(深い睡眠)を意味する。
研究資金
本研究は、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)、JSPS 科研費、JST 戦略的創造研究推進事業(CREST, ACT-X)、JST 未来社会創造事業、AMED ムーンショット型研究開発事業「睡眠と冬眠:2つの「眠り」の解明と操作が拓く新世代医療の展開」、AMED 脳神経科学統合プログラム「シナプスの新しい化学遺伝学操作法・標識法による多種・多階層横断的な脳科学の推進」及び「脳データ統合プラットフォームの開発と活用による脳機能と疾患病態の解明」、他の研究プロジェクトの一環として実施されました。
AMEDでは、ムーンショット型研究開発事業の目標7「2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムの実現」の達成にむけて研究開発を推進しています。
掲載論文
【題 名】 Prefrontal synaptic regulation of homeostatic sleep pressure revealed via synaptic chemogenetics.
(シナプス化学遺伝学で解明された前頭前野シナプスによる恒常性睡眠圧の制御)
【著者名】 Takeshi Sawada, Yusuke Iino, Kensuke Yoshida, Hitoshi Okazaki, Shinnosuke Nomura, Chika Shimizu, Tomoki Arima, Motoki Juichi, Siqi Zhou, Nobuhiro Kurabayashi, Takeshi Sakurai, Sho Yagishita, Masashi Yanagisawa, Taro Toyoizumi, Haruo Kasai, and Shoi Shi
【掲載誌】 Science
【掲載日】 2024年9月26日
【DOI】 10.1126/science.adl3043
問合わせ先
【睡眠実験・EINモデルに関すること】
史 蕭逸(し しょうい)
筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構 助教
【SYNCit-Kに関すること】
河西 春郎(かさい はるお)
東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN) 特任教授
澤田 健(さわだ たけし)
東京大学 大学院医学系研究科 助教
【取材・報道に関すること】
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)広報担当
東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN) 広報担当
東京大学大学院医学系研究科 総務チーム
理化学研究所 広報室 報道担当
【AMED事業に関すること】
日本医療研究開発機構(AMED)研究開発統括推進室基金事業課