本研究では、動物モデルで提唱されていた仮説--「生後2か月以前に全身麻酔を長時間または繰り返し受けると、脳の発達軌道が加速し、後年に影響を及ぼす可能性がある」--を、ヒトで初めて直接検証しました。

『Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)』に発表された本研究では、生後2か月以内にγ-アミノ酪酸(GABA)作動性の麻酔薬(セボフルラン、プロポフォール)による長時間または複数回の処置を受けた乳児を対象に、生後2〜5か月時点で視覚刺激に対する脳の電気活動パターンを測定しました。その結果、早期に麻酔を受けなかった乳児と比べて、大脳における視覚野の成熟が加速していることが明らかになりました。これらの知見は、新生児期の麻酔管理において、GABA作動性でない麻酔薬の活用も検討する必要性を示唆しています。こうした懸念に対応するため、現在、GABA作動性麻酔薬への曝露を最小限に抑えることを目的に、複数の麻酔薬を組み合わせた多施設共同の大規模臨床試験(TREX)が進行中です。

本論文は、ハーバード大学医学部・ボストン小児病院教授のヘンシュ貴雄IRCN機構長とノースイースタン大学のガバード・ダーナム・ジョイ・ローレルIRCN協力研究員らの研究グループが主導する、前向き縦断研究「General Anesthesia and Brain Activity(GABA)Study」の第4報にあたります。本研究は、マウスで示された「GABAが脳発達の臨界期を誘発する」という発見 (Hensch et al, Science 1998; Hensch and Fagiolini, Nature 2000)をヒトで直接検証した初めてのトランスレーショナル(橋渡し的)研究です。本研究は、動物モデルで確立された神経可塑性と発達の制御メカニズムをヒトの神経発達に応用した実証実験の結果を示しており、発達のタイミングにおける個人差を理解し、多様な臨床集団に応用されることが期待されます。

さらに今回の成果は、先に『British Journal of Anesthesia Open(BJA Open)』に掲載された研究を補完するものです。先行研究では、生後早期に長時間の麻酔を受けた乳児も、生後10か月および2〜3歳の時点での認知・言語・運動・行動などの神経発達指標において、統計的に有意な差は認められませんでした。

PNAS論文で報告された2〜3か月および4〜5か月時点での視覚野の発達加速と、BJA Open論文で示された10か月および2〜3歳時点での良好な神経発達の結果を総合的にみると、人間の乳児の神経系は非常に高い可塑性と回復力を備えていることが示唆されます。今後は、生後早期の長時間あるいは複数回にわたる麻酔薬曝露が、学齢期以降の神経発達に与える影響を明らかにするため、さらなる長期的な追跡研究が求められます。

Journal: Proceedings of the National Academy of Sciences
タイトル: General anesthesia in early infancy accelerates visual cortical development
DOI: 10.1073/pnas.2504172122
URL: https://doi.org/10.1073/pnas.2504172122